昭和~平成のべっ甲
鼈甲の輸出
昭和五年末現在、鼈甲に従事する戸数は四五戸、細工師は一二四名であった。また生産額は、昭和元年四、二九一円、五年二三、七四八円となっている。(昭和七年『長崎市の中小工業』)
明治から昭和にかけては国内はもちろん、外国への輸出も盛んにおこなわれていた。
◎輸出額
昭和元年 | 五〇、七三三円 |
昭和三年 | 三三、一〇九円 |
昭和五年 | 二二、五六〇円 |
しかし、年々その額は減ってきており、『長崎市の中小工業』 には次のように記されている。
最近における本品の商況は大体において衰微の歩をたどっていると言っても過言ではない。これは財界不況による購買力の減退、近代人の趣味の転換等をあげ得るであろうが、最も大きな原因となっているのは、近年セルロイド細工が、ますます精巧となり、その色沢模様等が一見しては、ほとんど鼈甲細工とまぎらわしけなり、これが驚くべき勢を以って、一般人の需要を得るに至ったことであろう。
昭和十四年 | 七一、九一七円 |
この輸出額は、生産額のだいたい二割ないし二割五分程度である。
べっ甲製品の大部分は長崎市内での外人売りであった。
◎昭和十二年における主な輸出先
シンガポール | 四五・四% |
関東州 | 二六・二% |
香港 | 一八・四% |
満州 | 九・〇% |
その他 | 一% |
ほかに神戸・横浜の商社をつうじて近東地方、上海・アメリカ・イギリ
スなどにも輸出されていた。
鼈甲従事者
技術者 | 業者 | |
昭和二十四年 | 約一二〇名 | 九七 |
昭和二十八年 | ? | 六 |
昭和二十九年 | 三十七名 | ? |
昭和五十八年 | 約一千人 | 六七 |
※昭和二十八年。『経済名鑑』(前掲)に登録されている鼈甲業者は六軒にすぎない。
※一九五四年二月現在「鼈甲業に従事している人員」として三七名が記載されている。
※昭和五十八年、この他組合に属しない個人営業のべっ甲製作者の人も加えると、長崎県下においては非常に多くの人達がべっ甲産業に関係しておられる。
平成の鼈甲従事者とワシントン条約
1975年にワシントン条約で絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引関する条約が締結。平成5年(1993年)には、タイマイの完全輸入・輸出が禁止され、鼈甲従事者急速に減っていった。
|平成5年|経営体56|2職人数269人
平成16年 | 39 | 69人 |
現在・・不明
今後の鼈甲業界
以前は、このような講習会なども行われていたが、現在は行われるはずもなく、技術の伝承は難しい。
実は、今後の鼈甲業界で、一番の問題は「原料の枯渇」ではなく、後継者不足なのである。
鼈甲業界そのものが衰退し、先がないためほとんど後継者が育っていない。現在、べっ甲職人自体も廃業する人が後を絶えず、作り手が不足しているため、原料自体はまだまだしばらくはあるのである。(もちろん良い原料は少ないが・・)
今べっ甲業界に求められているのは、イノベーションであると考える。
べっ甲業界だけではなく、古い体質の業界自体、他業界の考え方やネットの活用など新たに考える必要があると個人的には思っている。
狭い社会で狭い考え方だけで、問題は解決しない。もっとオープンに斬新なアイデアを製品づくりに応用できないかと思っている。
べっ甲製品は、高価であるが持った時の重さや光沢が何とも言えず良いのである。べっ甲業界がなくならないよう願ってやまない。